天女座物語176
2003/11/2〜5
昨年の11月秋祭りに参加して
「来年の祷屋(当屋)誰か持ってくれないでしょうか?」と呼びかけがあり、
誰も手を挙げませんでしたのでトンちゃんと目配せして無鉄砲にも 「やります!」と手を挙げました。
祷屋が何なのか、何をするのかどうえらいのかもわからずに
ただ、地元の祭りに参加してもっと溶け込みたいと考えただけでした。
区長さんが「こりゃ、皆でやらんといかんのう!」とつぶやいて皆爆笑!
2組の夫婦が、祭りの準備から料理からいろいろお世話をするのです。
相手方に矢賀敬三さんと、まこちゃんを指名しましたが 「よく考えてから返事します。」とその場では決まりませんでした。
後日、矢賀さんから「やります!」と快諾して頂きました。
11月1日にまず、神社の掃除をしたり買出しなどに行きました。
私達は何もわからないので、矢賀さんたちが 買い物や掃除、お供え物などの段取りを考えてくれました。
2日には、集会場の掃除。
集会場には、キッチンがありそこで全ての料理がされます。
祭りの費用は波田須の人たちの祝儀でまかなわれます。 当日のお客さんの食事だけでなく、手伝ってくれる人たちの食事や おみやげに渡す寿司など、すごい種類と、量の料理を しなくてはいけないのです。
この日は、伊豆の大島に住む池田さんが、(12月半ばまで 松阪で通訳の仕事をしているので、先日来、熊野に来て潜っています)
何と!4時間も潜って、58センチの石鯛をモリでついて、
持って来てくれました。 「でか!すごーい!これ何と言うの?」
「石鯛なんだけど地元の人に聞くと『いわし鍋』という面白い名前の
魚だって!」と池田さん。 あまりにデカクて立派なので、お宮さんに供えることにしました。
地元の人曰く、昔から秋祭りには、『いわし鍋』は、欠かせないもので 必ず、当屋が、いわし鍋を釣って持ってくることになっていたそうです。 それが、『いわし鍋』が、獲れなくなってしまったとかで 最近は、『いわし鍋』を供えることが少ないそうで 池田さんは、まさに祭りの為に最適な魚をついて来てくれたのでした!
ちなみに池田さんは、私達が京都に住んでいた頃にも 魚をついて、よく宅急便で送って来てくれていました。
華奢な体なのに、23メートルもシュノーケルだけで 潜るそうで、4時間も潜り続ける体力には脱帽でした。はあーっ!
アイヌ民族の秀さんも奥さんとウサギと犬を連れて熊野入り。 「秋に熊野に来られるのが楽しみ!」と再会を喜び合いました。 秀さんは、20日まで滞在します。
3日は、朝8時から料理の下ごしらえ。
「皆手伝ってくれるんやから、8時前には行きなさいよ!」と 母のような千恵さんのありがたーい!アドバイス。
ごぼうを切ったり、人参を切ったり、生姜を擦ったり。
擦った生姜の汁は要らないかと思って捨てようとしたら ゆっこさんが「これっ!それがいるの!」と一喝!(笑)
「それを早く言わんか!」と負けずに言い返す。
「細かく刻んで!」と人参を細かく刻んでいると 「細かすぎる!」と指示は飛ぶし。
新人の私はへまばかりで、皆、面白がっています。
「これいい包丁やねー!」と集会場の包丁を見て、
あるおばちゃんが言うと 「股にはさんで隠しとけ!」と別のおばちゃんが言って爆笑!
徐福劇の出演者のタヅちゃんは、「あら!朕としたことが!」と
徐福劇のセリフを言い、私が「今一歩のところであったのだな!」
とセリフで返したり。笑いが絶えない。
サンマ寿司に使うサンマの骨を取ったり、こんにゃくを切ったり
独楽鼠のごとく忙しい。
手伝いのおばちゃんたちの手際のいいこと!
お昼は皆で、食事をしました。焼き魚とご飯。漬物。 ご飯は、本当においしいのです。
男衆は、神社の飾りつけなどを担当。
しめ縄は、老人会が担当。
4日は朝、5時半に(こんなに早く起きることはめったにないですねえ!) 集会場に行き、野菜を刻んだり、洗物をしたり・・・。
手伝いは、男20名、女30名。
「サンマ寿司やるでー」と掛け声が飛び 「私覚えたい!」と走りよって区長さんの奥さんの、チイヤんに 指導を乞う。 「サンマはな、ご飯をこっちに寄せて広げて、尻尾を巻き込んでな・・・。」 最初は、へただったけど、だんだんに上手になっていく。 「うまい!うまい!上手やで!」と周りのおばちゃんも誉めてくれるので 調子に乗って、海苔巻にも挑戦。
「ここまではいいけど、昆布寿司は大変よ。皆尻込みするんやで!」
とゆっこさん。 「やりたい!」と名乗り出て、ゆっこさんに教えてもらう。
「違う!こっちをもっと引っ張って、ほれっ!こっちが綺麗にいってない!」
と叱咤激励される。
他のおばちゃんたちも
「聞いてると恐ろしいようなねえ!先生きびしいなあ!」と笑う。 「厳しいとそれだけ上手になるのが、早いのよ!」とゆっこさん。
昆布は、30センチもあるので、昆布寿司と言ってもすごく長いのを 一人で巻いていくので、大変。 でも、指導のお陰でだんだんうまくなり
「すごいやん!他のおばちゃんのと変わらないよ!」とゆっこさんも、
ニンマリ!
「ねえさん、これから、昆布寿司作る時は、手伝いに行けるねえ!」
と他のおばちゃんたちも笑う。
おばちゃんたちに混じって新米の私は、積極的にいろいろ習うので面白い。
しかし、5時半から作業していると、一日が長いこと!(笑)
男衆が帰って来て、ご飯を食べるので準備。
竹本のカンちゃんは、天女座のホールの壁を塗ってくれた左官やさん
ですが刺身が上手なので西上さんたちと裏の方でずっと魚をさばいて
います。
この日は、夕食も食べた後、お宮に行って宵宮という神事があります。 宮司さんが来て神殿で神事をして貰い、駆けつけてくれた人々に お酒やちょっとした食べ物を接待します。
「昔、獅子舞があってのう!すたれてしもうたけど、
獅子はあるはずや!」と言う話を聴いて「獅子舞?見たい!」
と押入れの奥から立派な獅子が出てきたのです。
「笛を吹くのがおらんしねえ!」と地元の人が言うので 何とか私達で獅子舞を再現しようと思いつき、皆に話すと、皆も 「そりゃあええわ!にぎやかになって!」と獅子舞の話で大盛り上がり!
正月の祭りには、私が獅子舞をして、トンちゃんが笛を吹くことに。 「どこに習いにいくん?」と私。
「それに、波田須の木やり歌も作りたい!」と言ったので地元のおじちゃん たちも大喜びでした。
宵宮が終わり、長い長い一日が終わりました。しかしこんなに長い時間 包丁を持っていたことは、なかったなあ!(笑)
5日 トンちゃんは朝、4時から、矢賀ひさひろさんの軽トラに乗って 祭りを知らせる太鼓を叩いて町内を巡りました。 「いつもより、リズム感がいい!」と地元の人に評判でした。 「満天の星空を見ながら太鼓を叩くって最高だぜー!」とトンちゃん は、眼を輝かせていました。
井谷さん「朝早うから、太鼓叩くなよ!寝やれんやないか!(笑)」 「起こすための太鼓よ!」と私。
私も波田須神社に行き、小さなシンセサイザーをセット。
トンちゃんと矢賀敬三さんは、当屋の白い装束に着替えて 私は巫女さんスタイルで、神官さんと徐福の宮に参りました。
生のお魚をしめ縄に通してお供えします。 その他に、蜜柑や、野菜なども。
祝詞も「不老不死の薬を求めて徐福が来て、焼き物を伝え・・・。」という 徐福ならではの祝詞でした。
波田須神社に戻り、いよいよ神殿で神事。 小さな神殿の中に、区長さんや、氏子総代、私達、婦人会長さん。 祝詞や、玉串奉納などがありました。 その後、私達の演奏。
「古道を渡る風」
「熊野人」では、波田須に暮らせてよかったね♪
皆で「わっしょい!」大歓声!
天気も降水確率が50%だったのに、晴れ!
いよいよ餅放り。
おばちゃんたちが、陣取って袋を開けて待ち構えています。
「こっち!こっち!」と叫んでいます。
七十五さんの子供のいる松葉さんたちの家族と 当屋で、そーれっ!と餅を放り始めると
わっと人が群がり、狂喜乱舞!
秀さんも、喜峰さんも拾っています。
餅放りの後は、料理の接待をし 50人くらいの食事が始まりました。
皆、「天気もよかったし、いい祭りだった!」と にこにこしてくれました。
祷屋を引き受けて、何よりも地元にもっと溶け込んだ感じで、
おじちゃんや、おばちゃんたちと仲良くなれたのが嬉しいです。
「紫帆さん、来年もまた、祷屋するかい?」(笑)とおじちゃん。
今回の最大功労者は、何も知らない私達と組んで一生懸命 段取りをしてくれた矢賀敬三さんと、まこちゃんでした。 心から深謝!
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