日時 : 2001年3月19日 0:25
90年に幕張メッセで行われた「地球人間ルネッサンス会議」で東京
少年少女合唱隊に私の「地球マイラブ」を歌って貰って共演。
その際、出逢ったのが、日立製作所尾張旭工場に勤める根本氏。
その歌に感動してくれた根本さん。奥さんと仲間を連れて京都の自宅
にやってきてくれました。
しかし、華やかなステージの裏側は、夫婦で300キロの荷物を運ん
でいるということに驚いて、勝手にマネージャーを名乗り出て、何
と!10年間海外や国内でのコンサートの時、駆けつけてくれたのでした。
日立に私のコンサートスケジュールを提出し、会社を休んで打ち合わ
せや、果ては、海外公演まで助けてくれた根本さん。
しわ寄せに土日に真夜中まで仕事をするはめに。
一度は、奥さんとの時間も大切にして!・・・私たちのことより
も・・・。とお手紙を書いたことも。
しかし、「紫帆さんのコンサートでいろんな人に出会えることは会社
にとっても、自分にとってもかけがえのない大切な経験です。」と
きっぱり。
今や、ネモッティーと呼んで、奥さんのひで子さん共々、家族同様の
おつきあい。
ひょうきんで、B型。ネモッティーがいるだけでその場が明るくなる
んです。
その日立人間のネモッティーが会社を辞める決心をしたのです。
一度しかない人生を大切にしたい!と。
私の為だけではなく、社会や地域興しのプロデューサーとして。
3月16日、演奏に駆けつけました。ネモッティーの旅立ちを祝う
人々の優しい波動が満ちあふれていました。
駆けつけてくれた人々は、私たちもお馴染みの、「10万人コンサー
ト」の主催者も多数。
ネモッティーは、司会をやり、舞台監督をやり、スライドを映写し、
歌こそ歌わなかったけど1人で5役。
おめでとう!ネモッティー、ひで子さん。そして、今までありがと
う!本当に、無私の心で助けてくれてありがとう!
これからは、「勝手に!専属マネージャー!???」紫帆りん
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