天女座物語194 2004/6/8
7時半なのに「おい!8時半じゃ!」と昨夜の搬入経路が長く疲れて眠っている
一同を喜峰さんが起こしまくり、TVの音を大きくつけている。
「えええ!まだ7時半じゃない!まったく!」と私。皆も寝ぼけ眼。
喜峰さん昨夜からしゃべくりまくり超ご機嫌で「はよ!起きんかい!」と、どこ吹く風!
札幌 佐藤さんと別れを惜しみつつ夕張に向う札幌から夕張は車で2時間
夕張は、ユーパロというアイヌ語からきています。
昔は石炭の産地として全国に知られていました。
石炭はその輝きから黒いダイヤと呼ばれていました。
夕張の全盛期には、15万人の人口があり石炭の抗夫さんたちで賑わっていました。
石炭を使っていたこの頃は、国内のエネルギーは自分で賄うことができたのです。
石炭博物館に行くと、真っ黒な顔をした抗夫さんたちの写真がありました。
石炭の粉塵がかかるので弁当のふたは全開に出来ないそうです。
危険な仕事をして来た男たちがそこにはありました。
女の抗夫さんがある男の抗夫に「家に届け物をして欲しい」と風呂敷を渡しました。
中は見ないでくれと言われたのですがその男は見てしまいます。
中には女の髪の毛がありました。両親にその風呂敷を渡すと
「うちの娘は炭鉱の事故で数年前に亡くなりました。」と。
そんな話も残っているようです。
石油が石炭に取って代わってから炭鉱は閉鎖に追い込まれました。
人口は10分の一になり、当時の賑わいはありません。
そんな夕張は今では、メロンと映画祭と観光で有名です。
町のいたるところに昔なつかしい映画の看板があります。
映画祭は、15年の歴史があり毎年2月に開かれて5日間上映されるようです。
7日はセットだけして、温泉へ。夕食は酒道楽というお店へ。
ニシンや北海道だけにあるチカの天ぷらがおいしかったです。
宿に帰ると札幌で司会をして下さった柳川さんから何と!夕張メロンが
届いていました。甘くておいしかった!!!!「う、うまい!メロン買って帰ろう!」
8日の本番は朝10時から。
今日のお客さんは、3つの小学校の児童さん300人。
演奏が始まり、「熊野古道をゆく」を写真と共に。
その後、即興演奏。勢いよく手があがったものの「好きな言葉は?」
「わからなーい。」で大爆笑。その後ろの子供から「夕張のおばけ」
演奏後、「怖かった?」「全然怖くなかった!」
2番目は、2人の「孫悟空」と「雨のしずく」をつなげました。
「どうでした?よかった?」に対して感想は「うん!」と「きれいでした!」
トンちゃんのボイスには、皆げらげら笑い大受け。
「忘れな草」では、「夢は実現しますよ。夢はありますか?」
「ケーキやさんになりたい!」
「じゃーね!ケーキ屋さんの絵を描いて自分の部屋に貼って
いつも、ケーキやさんが出来た!と過去形で唱えてね!」
その後、皆の学校生活の写真をスライドで投影して即興しましたが
自分の顔が写っているので大喜び!
「ありがとうDEございめーす!」では、喜峰さんの台詞にまで手拍子。
「熊野人」での「わっしょいわっしょい!」は何とまあ!黄色い可愛い声で
リズミカルに!
最後の伊勢音頭のイントロの太鼓の音色のダダダダダダダダ!という連打にも
拍手の連打で反応!素晴らしい感性!
その後の獅子舞と獅子舞ギャグも大受けし、幕が閉じたにもかかわらず
「アンコール!アンコール!」と可愛い声援の嵐!
幕間から「アンコールにお答えします!」と急遽、私。
司会の木村愛さんも大慌て。それもそのはず、子供たちがアンコールするとは
思わなかったそうな。
「即興でやります!」「はい!はい!はい!はい!はい!はい!・・・・・」と
すごい数の手が挙がり「ドラキュラ!」
ドラキュラの即興演奏は、パイプオルガンの音色、不気味な鐘の音。
そして、「きゃー!」と私の叫びを入れて子供たちは大喜びでした。
まだアンコールは続いていましたが、バスで学校に帰らなくてはいけないので
コンサート終了!
「いやー感性豊かな子供たちだよね!」と私が言うと
トンちゃんも「まるでここは、インドネシアかと思ったよ。」
(インドネシアのホールで即興演奏した時、イントロを終えて、
私がメロディーを弾こうかなと思った瞬間、拍手が来たのです。
そんな経験は初めてだったのでインドネシアの人の感性はすごいと
思ったものです)
昨日、おいしかった酒道楽のママさんも見に来て下さったようで
パンの差し入れも頂きました。
そんなわけで夕張は盛り上がり、満足なひと時でした。
終わって藤の屋でうどんを食べました。おいしかった!
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